ポイント
- 今回新たに設立される研究所 Baker Hughes Institute for Decarbonization Materials は、環境問題の解決につながる次世代材料の開発に大学と企業の両サイドから取り組みます
- 研究所の指揮を執るカリフォルニア大学バークレー校の Jeffrey Long 教授は、次世代多孔性材料を利用した効率的なガス分離技術に関して、世界的に先駆的な成果を上げてきました
- Baker Hughes は、大学研究者に長期間の基礎研究支援を行いつつ、基礎研究から生まれた革新的な次世代材料の大量合成に取り組み速やかな実用化を目指します
Baker Hughes and the University of California, Berkeley, Establish Global Decarbonization Research Institute (Baker Hughes のプレスリリース)
Institute brings together scientists to design pollution-adsorbing materials (UC Berkeley のプレスリリース)
IDMat は炭素循環社会に向けた経済的な次世代技術の実用化を目指す
2024 年 12 月、米国カリフォルニア大学バークレー校 (University of California, Berkeley; UC Berkeley) の Jeffrey Long らの研究室が、米国の大手エネルギー会社 Baker Hughes と長期間の研究提携を結び、二酸化炭素排出削減に広く取り組むための研究所として脱炭素材料研究所 (Baker Hughes Institute for Decarbonization Materials; 以下 IDMat)を設立することを発表しました。IDMat は、大学レベルの基礎研究のブレークスルーを速やかに企業研究レベルの大型化へと取り次ぎ、持続可能社会に向けた経済的な次世代技術の実用化の加速を目的としています。
Long 研究室は多孔性材料を用いた二酸化炭素回収の基礎研究を世界的に牽引
今回、研究所の指揮を執る Jeffrey Long 教授は、金属–有機構造体 (metal–organic frameworks; MOFs) と呼ばれる次世代の材料を利用したガスの分離および貯蔵の研究に関してこれまでに革新的な成果を上げてきました1–3。金属–有機構造体は、固体でありながらその構造に原子レベルの穴を有する次世代材料です。その原子レベルの穴は、ガスが固体の中を通り抜けることを可能にします。イメージしやすい例えを用いれば、金属–有機構造体は気体を取り込むスポンジと考えることができ、そのような性質を持つ材料は多孔性材料と呼ばれます。Long 教授らのグループは、ガスの分子レベルの性質を利用して、そのような多孔性材料の内部で特定の分子を選択的に捕捉することで、様々なガス分離に取り組んできました。新しい材料の開発だけでなく、そのガス分離のメカニズムについて、分子レベルで解明することで、よりエネルギー効率的なガス分離のメカニズムの発展に貢献してきました。特に空気中からの直接二酸化炭素回収 (direct air capture; DAC) の材料の開発とその実用化に向けて、スタートアップ企業として Mosaic Materials を 2014 年に発足させています。Mosaic Materials は、2022 年に Baker Hughes に買収され、次世代材料のトンスケールの材料合成に着手するなど着実に実用化へ駒を進めてきました。
気体を穏和な条件で扱うことは化学産業の省エネルギー化に繋がる
地球規模での二酸化炭素の排出削減は、単一の技術だけでは達成できません。気体の分離や貯蔵方法に変革をもたらすことは、様々な場面で省エネルギー化に貢献できると考えられており、Long 教授らのグループや世界中の化学者が、金属–有機構造体やそれに関連する材料の開発に取り組んでいます。気体の分離にエネルギーが必要な理由は、気体の分離は主に気体を極低温に冷やして凝縮するか、あるいは凝縮した後さらに沸点の近いガス同士を蒸留する深冷蒸留 (cryogenic distillations) というプロセスを必要とするからです。産業的に重要なガス (酸素、エチレン、プロピレンなど) の沸点は 100–200 K であり、冷却に膨大なエネルギーが必要とされます。
例えば純度の高い酸素は医療用や化学プロセスに重要で、エチレンやプロピレンはプラスチックの材料となる重要なガスですが、それらの分離は既存の深冷蒸留ではエネルギー負荷が大きいです。また 20 世紀の人口増加を支えたハーバー·ボッシュ法においても、アンモニア合成反応条件での化学平衡が反応物側に偏っていることから、400 °C 付近の反応条件からアンモニア凝縮のために−20 °C 付近の低温へ冷却する工程があり、温度の昇降にエネルギーが必要です。さらに、二酸化炭素を排出しない次世代燃料として期待されている水素燃料については、現在では 700 気圧付近の圧縮水素や −250 °C の液体水素が主流ですが、それらの極端な保存条件はエネルギー負荷も高い上に、液体水素にはボイルオフと呼ばれる揮発による損失など問題を抱えています。総じて、典型的な産業的な気体の扱いは、極端な温度や圧力条件を伴うことが多いです。気体の “スポンジ” とみなせる多孔性材料は、気体をより穏和な条件で扱うことを可能にし、化学産業の省エネルギー化に貢献できるのです。
Long 教授らの研究グループは、二酸化炭素の回収だけでなく、酸素分離4、エチレン分離5、アンモニア分離6、水素貯蔵7, 8などさまざまなプロセスの省エネルギー化につながる材料とその機能解明を研究してきました。また、上述の二酸化炭素回収に関しても、さまざまな排出源での回収に特化した材料を報告しています。特に2024年には、これまで難しかったとされる製鉄やセメント工場の高温の排ガスから二酸化炭素を高温のまま回収できる可能性がある金属–有機構造体を報告しています (関連記事: 亜鉛–ヒドリド種を持つ金属–有機構造体による高温での二酸化炭素回収)9。
大学と企業の長期間の研究提携により基礎研究と応用研究の連携を促進
今回アメリカの大手エネルギー企業 Baker Hughesは、Long 研究室の基礎研究を長期的に支援することを表明しています。しかし、ただ基礎研究を支援するだけでなく、大学レベルの研究では難しい材料の大量合成や研究室規模よりも大きい規模での材料の性能の評価などを行うそうです。さらに、実際に実用化に求められる材料特性に関するアドバイスを大学研究者に行うことで、基礎研究と企業研究の連携を図る予定です。また今回設立される Institute of Decarbonization Materials (IDMat) は、理論化学者、化学工学者、技術経済学者など幅広い研究者と共同研究することで、環境問題に多角的に取り組みます。地球温暖化による影響が高まっている近年、二酸化炭素排出削減の取り組みは加速していかなければなりません。今回の大学企業間の長期的な共同研究により、基礎研究のシーズと化学産業のニーズが連携し、革新的技術の実用化に拍車がかかることが期待されます。
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参考文献
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